本多 重正(ほんだ しげまさ、? - 元亀3年3月11日(1572年4月23日))は、戦国時代の武将。通称作左衛門、次郎九郎、次郎大夫。諱は重基、重信とも伝わる。
略歴
本多信正の子。三河国額田郡大平村の住人であり、松平清康・広忠親子に仕えた。
元亀3年(1572年)3月11日死去。法名了願。墓所は大樹寺。子に本多重次がいる。
参考文献
- 『寛政重修諸家譜第4輯』(榮進舍出版部 、1917年、675p)
脚注





本多 重正(ほんだ しげまさ、? - 元亀3年3月11日(1572年4月23日))は、戦国時代の武将。通称作左衛門、次郎九郎、次郎大夫。諱は重基、重信とも伝わる。
本多信正の子。三河国額田郡大平村の住人であり、松平清康・広忠親子に仕えた。
元亀3年(1572年)3月11日死去。法名了願。墓所は大樹寺。子に本多重次がいる。




