三ッ林 弥太郎(みつばやし やたろう、1918年(大正7年)11月22日 - 2003年(平成15年)8月18日)は、日本の政治家。位階は正三位。自由民主党所属の元衆議院議員(10期)。
科学技術庁長官(第3次中曽根内閣)を務めた。
来歴
埼玉県北葛飾郡行幸村千塚(のち幸手町、現・幸手市)、三ッ林幸三の長男として生まれる。埼玉県立杉戸農業学校、埼玉青年師範学校(現・埼玉大学教育学部)卒業。奉天予備士官学校卒業。
青年学校教諭兼小学訓導、埼玉県農業会勤務を経て1948年に埼玉県指導農協連北葛飾支所経営課長となり1951年以来4回県議に当選。
自民党県連副幹事長を務め1960年に県議会副議長、1964年に議長に選ばれる。1967年、衆議院議員に当選する。
人物
父子二代蚕業、県政に活躍した。
三ッ林について『国会議員総覧 1970年版』によると「農民、農地を基盤にして農民議員の色彩が強く、国会生活も農民のための政治実現に全力を傾ける姿勢で、新しい農村づくりに邁進してきた」という。
中選挙区時代は埼玉県第4区で小選挙区制導入後は埼玉県第14区を選挙区とした。
趣味は園芸、旅行、読書、釣り。宗教は真言宗。住所は埼玉県北葛飾郡幸手町大字千塚。
略歴
- 1951年(昭和26年)、自由党に所属して埼玉県議会議員に当選する。
- 1964年(昭和39年)、埼玉県議会議長に就任。
- 1967年(昭和42年)、第31回衆議院議員総選挙にて旧埼玉4区から出馬し初当選。
- 1972年(昭和47年)、第1次田中角榮内閣の自治政務次官に就任。
- 1973年(昭和48年)、第2次田中角榮内閣第1次改造内閣の郵政政務次官に就任。
- 1986年(昭和61年)、第3次中曽根内閣の科学技術庁長官に就任。
- 1998年(平成10年)、勲一等旭日大綬章受章
- 2000年(平成12年)、引退(通算10期)
- 2003年(平成15年)8月18日、心不全のため逝去 84歳没
家族
- 三ッ林家
- 父・幸三(1893年 - 1977年、幸手町長、埼玉県会議長、衆議院議員、農業)
- 母・こと(1899年 - ?、埼玉、古谷篤治の長女)
- 妻(1930年 - 埼玉、小森谷清の長女)
- 長男(1949年 - )
- 二男・隆志(1953年 - 2010年、医師、自由民主党衆議院議員)
- 三男・裕巳(医師、自由民主党衆議院議員、1955年 - )
- 長女
脚注
参考文献
- 『埼玉県蚕糸業史』埼玉県蚕糸業協会、1960年。
- 人事興信所編『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年。
- 日本民政研究会編『国会議員総覧 1970年版』評論新社、1970年。
- 埼玉県議会史編さん委員会編『埼玉県議会史 第9巻』埼玉県議会、1976年。
関連項目
- 埼玉県出身の人物一覧
外部リンク
- 第66代 三ッ林弥太郎議長 - 埼玉県議会

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